FC2ブログ

工房うるわ(URUWA)の石つれづれ

採集から加工販売まで行う管理人の石(鉱物)あれこれ
MENU

縄文展とイサムノグチ

久しぶりの更新になります!

この間一度糸魚川に出かけまして
加工にも使えるなかなか良い翡翠を発見し
気分良く過ごしております!

さて先日、東京国立博物館の「縄文」特別展と
東京オペラシティー アートギャラリーの「イサム・ノグチ」展を見てきました!

とても良かったです。
縄文の工芸・芸術品は日本各地の博物館等で見学はできますが
これほど多種多様な縄文の美の形が一堂に会する展示というのは
トーハクだからこそできるもの・・・しかも見せ方もうまかったです!

縄文時代の複雑なデザインの耳飾りなどを見ていると
現代に全くひけをとらないすぐれた造形感覚をもった作り手がいた事がわかります。

そういった逸材は日本各地にいたようで
お互いに影響を与えつつ
それぞれの地で特徴的なデザインの土器が作られていたようです。

それはまるで美の可能性を競いあっていたようにも感じました。

あくまでも想像ですが、言語を介さない感覚による感応があったということ・・・
それは非常に高度な文化的な交流活動であったと言い換える事ができるのかもしれません。

それにしても火焔土器などにみられる装飾は圧巻でした。
縄文の作り手の装飾を希求する心は
空間を生き生きとしたものへ変容しようとする心であり
それはまさに「生命」そのものではないかと感じました。

その生命の中には
怖さも喜びもおどろおどろしさも美しさも
カオスとして共存しているようです。

それを素直に表出させることのできたのが「縄文」で・・・

「きれい」であることを求める事で失われてしまった何かを思い出す為に
人は「縄文」に魅かれるのかもしれません。


その後行ったイサム・ノグチ展でみた「北京ドローイング」では
人体を動きのあるエネルギー体としてとらえようとする試みがみてとれました。

形にとらわれることなくそこにやどる生命の力に眼を注いだということは
縄文の人と共通するところがあると感じました。

イサム・ノグチは
「縄文」に魅かれた人物の1人である岡本太郎と親交があったようです。
おそらくその影響もあったのか
焼き物で多数の勾玉で首飾りをつくった作品があったのですが
その作品は私の眼には何かに取り憑かれたように作られたように見えました。

彼は半分はアメリカ人、半分は日本人なのですが
縄文の勾玉を自分のルーツというものを手に取る形で確かめたい・・・
そんな気持ちで夢中になって作ったのかなとも思いました。

一つ一つの勾玉の形はとても稚拙なものでした。
でもそんな子どもが遊びからつくるようなもののなかに
あらゆるしがらみから離れた芸術の本質が孕んでいるのではないか
そう彼は読んでいたようにも感じました。

型にはまった芸術を開放したいという
現代芸術の流れの中にいた彼が「縄文」に眼をむけたことは
ある意味当然のことだったのかもしれません。


私も小さな作り手の1人として
「生命」に眼を向けて制作を続けていきたいです。




スポンサーサイト



該当の記事は見つかりませんでした。